【イベント】Cebu Dialog Night vol.3 にゲストスピーカーとして参加しました。

「21世紀型スキルの探求」をテーマに参加者がさまざまに対話を行うプロジェクト、「Cebu Dialog Night」
先週の木曜日、なんと私、ゲストスピーカーとして登壇してきました。
当日は私よりもセミナー経験、出版経験豊富な 森山たつをさん が参加者として客席にいる、というかなりモンドな状況。トークと文章のプロを前にして何を話せばいいのか大いに悩みましたよw

さて。21世紀型スキルとは、すごくかんたんに言えば、

「コラボレーション」
「コミュニケーション」
「クリティカルシンキング」

そしてその3つが交わるところに生まれる
「クリエイティビティ」の4つを指します。

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(引用) The Southeast technology Network CIC Grant Prject

つまり、あらゆるものが予測困難でスピーディに変化していく社会にしなやかに対応していくためのスキル、ということ。

セブダイアログナイトは、さまざまな専門性を持った人たちが集まり、互いの経験や思いをシェアしながら(コミュニケーション)、一つのテーマに沿って対話を行なっていくことで(コラボレーション)、思い込みを解体し、思考の壁を乗り越え(クリティカルシンキング)、新たな知恵や創造性(クリエイティビティ)を獲得していくことを目標に活動しているのです。



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21世紀を生きる私たちは文章でいかに自分を表現をしていくべきか?

これがセブダイアログナイト第3回のテーマ。

グローバル化や情報化によって、社会全体でヒト・モノ・情報の流動性が高まっている21世紀。さまざまな文化や価値観を持つ人が出会う機会が爆発的に増え、コミュニケーションの在り方もどんどん複雑化しています。さらにブログやFacebook、Twitterなど文章で自己表現する機会も増えまくりの昨今。そんな時代に、どうやって自分の思いを上手く表現すればいいのでしょうか?

というわけで今回は、もっとも身近なツールである文章での自己表現について考えてみることにしました。

私はこれまで15年以上にわたって、「文章を書くこと」を生業にしてきましたが、それはすなわち

「良い文章とは何か?」

を自身に問い続けた15年でもあります。文章で自分を表現するための「良い文章」とは何か? その答えを求めて、悩んだり葛藤したりを繰り返した私なりに辿り着いたひとつの「結論」を、私見はいりまくりではありますが、参加者のみなさんにシェアさせてもらいました。

「良い文章」には前提条件がある。

例えば、文法的に正しいこと。

それは完璧に正しい日本語を使え、とかそういう話ではなくて、最低限、文章として理解できるものであること、が前提だということです。

あとは、筆者の言いたいこと(主張)が明確で、さらに筆者の「独自の目線」や「独自の考察」が文章の中に息づいていることだと思っています。

例えば、ある事実(出来事)があって、それを時系列によってただつなげただけのような文章は、文章そのものの面白みとか味わいとかが、やっぱり欠けていると思うんですよね。事実を正確に伝えることが求められるニュース記事なら問題ないんですけど、「自分を表現する手段」としては不適だと思います。

「事実そのものの価値」は、誰が書いても変わることはありません。けれども、「事実について書かれた文章の価値」は、誰がどのように書いたかによって大きく変わってくるのです。

書き手の思考の痕跡を、文章に刻む。

最近、ある人から仕事の依頼を受けた際、「庄司さんの文章は、有機的に満ちている」と指摘されました。そのとき、これって書き手にとって最高の褒め言葉だなあ、と思いました。「有機的に満ちている文章」とは、どんな文章なのでしょうか。

わたしはこう考えました。

さまざまな細胞や器官が、互いに結びつき、影響を及ぼしあいながら、いきもののからだ(有機体)を形づくるように、一つひとつの文のつらなりが、まるでひとつの命のように脈動しながら、書き手の思いを最後までリレーしていく、そんな文章。

英語で文章のことを「text」と呼びますが、これは「織物」(Textile)と同じくラテン語の「織る」という言葉が語源だそうです。織物は、縦糸とよこ糸が有機的につながりあい、編まれていきます。そして、編み上がったとき、美しい図柄となって私たちの目の前に現れます。「編集」という言葉があるように、文章も一つひとつの文が
筆者の思想と有機的につながりあって、全体を形づくっているわけです。

筆者の伝えたい思い、筆者に見えている世界が、文脈となって全体をつらぬき、読み手の心に像をむすぶ。
そんなふうに文章が「有機的に満ちている」とき、そこには誰にも真似できない、わたしだけの文脈が息づいている。私はそう信じています。

ちなみに、この「自分だけの文脈を持つ」ということは、ネット上でのコンテンツ作りにもものすごく重要な意味を持っています。

Googleは、本当にユーザーのためになる「良質なコンテンツ」が検索上位に表示されるよう、日々アルゴリズムをアップデートしていて、近年、それが非常に高い精度で実現されつつあるのはご存知の通り。つまり、どこかからパクってきたようなツギハギコンテンツはゴミ認定され、独自の視点とオリジナルの文脈で語られた有益性の高いコンテンツが今後はより検索で上位に表示される可能性が高いからです。

「良い文章」とは、ある種の「対話」である。

15年間、さまざまな形で文章を書き続けるなか、いつも心がけてきたこと。それは3つの対話です。

「文章のテーマである対象との対話」
「書き手である自分自身との対話」
「文章の向こう側にいる読み手との対話」

ちょっと抽象的でわかりにくいかもしれませんが、例えば今、このエントリを書いている最中も、私は「対話」しています。今は「良い文章」について書いているので、妙な言い方ですが、「良い文章」と対話しています(笑)

もちろん、無機物と対話するのは物理的には不可能ですから、「あらゆる角度から、徹底的にそれについて考える」みたいなイメージです。

そして書いている自分自身とも、頭の中で絶賛対話中です。「この部分とこの部分の主張、矛盾してない?」とか
「本当に言いたいことって、そんなつまんないことだっけ?」とか、まあ、主にダメ出しが中心です。これを何度も何度も文章を読み返しながら、繰り返してます。

3つ目の「読み手との対話」は、自分を読む側に脳内変換する感じです。書き手の勝手な解釈で説明不足になっていたり、逆に説明が過剰になって冗長になっていたり、そういう部分を「補正」していく作業に近いですね。

この3つの対話を意識することで、文章はよりわかりやすく、自分らしいものになる。15年間の検証の結果、私はそんな結論に至りました。

私が今回シェアしたのは、以上です。
長くなっちゃったので、イベント全体の詳しい内容は、主催者である セブの森せんせいのブログ に譲るとして。。。

今回、あらためて「良い文章」について考え、これまでの文章活動を振り返り、明確な言葉として「良い文章」を再定義するという経験は、わたしにとっても非常に新鮮で多くの気づきに満ちたものでした。このような機会をいただけて、本当に感謝しています。

お声がけくださった森せんせい、そして参加者のみなさま、ほんとうにありがとうございました!

そして本日も夜20時30分から、WAKU MAMA CAFE にてCebu Dialog Night vol.4 が開催されます!
お時間のある方はぜひご参加ください〜

Text by Risa Shoji

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